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MiG-25の単座型は函館に強行着陸を行った大事件を巻き起こした機体がセレクトされました。企画は面白いもののミサイルを吊り下げる必要はなかったかもしれませんね。
HerpaからMiG-25のシングルシートが発売されました。今回のモデルに選ばれたのは函館空港に強行着陸を行い、米国への亡命を成功させたソビエト空軍のベレンコ中尉が搭乗した機体です。そのショッキングな出来事は日本の航空史に残る大きな事件であり、大変有名な機体です。…という私もその頃はまだ6歳でしたからさっぱりわかっておりませんので、今回はWikipediaとJ-WINGS誌の受け売りばかりです。
欧米製の戦闘機に慣れていると複座型は「単座型の後ろに後席を設ける」という発想になりますが、MiG-25は「単座機の前側に席を追加した」形になります。未確認ですが複座機の場合、操縦桿を握るのは後席ということになるのですかね。
この2機は機首が違うだけなのに、かなり別のキャラクターに見えるから面白いですね。単座・複座の違いの他にレドームの大きさが違うようで、この点も大きく印象を変えていると思います。単座型のピトー管は安全性のためか、製造面での理由かはわかりませんが若干太目に作られています。またキャノピーの差し替えは今回も省略されています。それにしても視界が悪そうなキャノピーですね。
さてそれでは亡命事件について…。1976年9月6日、ソビエト空軍に所属するビクター・イワノビッチ・ベレンコ中尉は通常訓練のためサカロフカ基地を離陸しました。この時すでに亡命を計画していたようで墜落を装うために機体を急降下させ、緊急信号を発信したそうです。
急降下した機体は高度30mで姿勢を回復。燃費が悪い超低空飛行を避けると同時に、スクランブルで上がってくる航空自衛隊のF-4EJファントムに誘導してもらう事を期待して一旦は高度を上げたものの雲が多かったので再び降下しました。それが裏目に出てしまいます。F-4EJファントムは自機より下を飛行する機体を補足するルックダウン能力が弱いために機影をロストしてしまいます。また地上レーダーも地球の丸みにより死角を突かれた形となりMiG-25は完全にフリーな状態になってしまいました。これで困ったのはベレンコ中尉の方です。
燃料が底をついてきたベレンコ中尉は着陸を試みます。本来はファントムに千歳まで連れていってもらうことを期待していましたがファントムが現れないため、函館空港に強行着陸することを決断します。これにはたまたま発見した函館空港に着陸したという説と、函館ならナイキ(迎撃用地対空ミサイル)が配備されていないだろうという計算があったという説があります。
函館市街上空を3回ほど旋回したという事ですが、それをみた航空機ファンはさぞ驚いたことでしょうね。当時の写真を見てみるとミサイルの類は装備していなかったみたいです。今回のモデルは「1976年9月のベレンコ中尉機」とまで商品名に明記されているものの、4発のミサイルが装備されています。どちらが正しいのでしょうね。せっかくの企画モノですが歴史考証は行っているのかな?
ところで肝心な亡命理由ですが、当時はのソビエトの戦闘機パイロットは決して良い待遇ではなかったらしく、それに不満を抱いての事だと言われています。また真意のほどはよくわかりませんが、そのせいで奥さんとの関係が悪化したことが原因という不仲説もあるようです。それが本当だとしたらたいそう迷惑な話ですね…。
残念量がギリギリだったため強行着陸を試みたベレンコ中尉。当然ながら誘導を受けられるわけもなく、目視による着陸をせざるをえませんでした。本来のタッチダウンポイントは過ぎてしまったものの、着陸滑走を続けます。
着陸した機体はオーバーランをしたもののフェンスぎりぎりで停止しました。当時は未知の塊だったMiG-25ですから機体はC-5で百里へ移送され徹底的に調べ上げられました。大きな脅威とされた前評判の割には真空管など旧式の技術ばかりで、調査の結果は「面白い発見はなかった」という拍子抜けの感想だったそうです。しかしこれは核爆発時に影響を受けないためだという説も出ていたようです。
これがもし攻撃意図をもった機体だったら…と思うとぞっとしますが、この騒動によって戦闘機パイロットの待遇が改善され、航空自衛隊にはE-2C、E-767というAWACSシステムが配備されたわけですから意外と功労は大きかったということですね。
Limited Edition - 1000 pieces
Soviet Air Force Mikoyan MiG-25P 513th Fighter Regiment,Chuguyevka Air Base Lt.Viktor Belenko,September 1976.